先月末、志村けんさんが亡くなるというショックな出来事があったばかりですが、またもや残念なニュースを知ることとなってしまいました‥‥
名湯の森ホテルきたふくろうが折からのコロナウイルスによる観光客激減のあおりを受けて運営会社が倒産!! 閉館してしまったそうです‥‥
きたふくろうさんは3年前の2017年7月に親とその友人2人、叔父さんと自分の総勢5名で道東を旅行した際に利用させて頂きました。
何よりこの年、2017年の1月からミクちゃんと雪ちゃんが我が家に一緒に居てくれる生活が始まって、この子達にお土産を初めて買ってきたのがこの旅行の時だったので思い出深いモノがあったのです。
いつかまた道東旅行に行けたら今度はミクちゃんと雪ちゃんも一緒に連れて行きたいと思っていたので、きたふくろうさんにもまた行けたらいいなーと思っていたんですが‥‥
本当は次に訪れることが出来たらその時に改めて写真を撮って記事を書くつもりでいたんですが、それももはやかなわぬ夢となってしまいました‥‥(ーー;)
今回の記事はきたふくろうさんに惜別の想いを込めて2017年当時に撮った写真を使ってその時の道東旅行の様子を振り返ってみたいと思います。
・2017年7月3日
当時7人乗りの大きめの車に乗っていた叔父さんの車で出かけました。
長丁場になるので自分と叔父さんが代わるがわる交替しながらの運転でした。
とりあえず当時辿ったルートを思い出しながら‥‥
・道東道 占冠(しむかっぷ)PA
途中で休憩した占冠PAにあった〝紫竹(しちく)ガーデン〟デザインのミニ庭園。
※紫竹ガーデン
帯広市郊外の十勝平野にある広大なお花畑(15000坪!)の観光ガーデン。
紫竹昭葉さん(現在87歳)というこの庭園の名物おばあちゃんが当時63歳で一から作り上げた夢のお花畑です。
道東道を降りて‥‥
・道の駅 あしょろ銀河ホール21
旧足寄駅を利用して造られたそうです。
文字通りの道の駅ですね(・∀・)
2時間ごとにオルゴール音で松山千春さんの曲が流れるのだそうです。
〝恋〟が流れていました(#^^#)
『愛することに疲れた~み~たい♪』
こちらのモニュメントでは 手形のところに手をかざすと松山千春さんを代表する名曲〝大空と大地の中で〟が流れます。
千春さんの顔の右側後方に見えているベンチでお昼を食べました。
建物の中には‥‥
2006年に廃線となった〝ふるさと銀河線〟を再現した展示があります。
銀河鉄道999の鉄郎のイラストが描かれていましたね(^ω^)
阿寒湖を目指して出発‥‥その途中に寄ったのが
・オンネトー
足寄町の阿寒摩周国立公園内にある湖沼。
アイヌ語で「年老いた・大きな沼」との意味だそうで湖面が季節、天候、時間、見る角度等により色が変わって見える様子から「五色沼」の別名も。
晴れていればさぞや綺麗だったんでしょうが‥‥
ご覧の通り傘はいらないものの小雨が‥‥残念(;´・ω・)
この後、一時的に雨脚が強くなり慌てて車に入る御一行‥‥
改めて阿寒湖へ
・阿寒湖
何といっても特別天然記念物である〝マリモ〟が有名ですよね。
北海道で5番目に大きな淡水湖だそうです。
阿寒湖にあるアイヌコタンに到着。
見事なふくろうがお出迎え
スゴイ!(゚∀゚)
霧で有名なのは摩周湖なんですが‥‥この日はアカーン!(;´Д`)湖でした。
こんな霧の中でも遊覧船が出ていました。
アイヌコタンをひとしきり練り歩いて阿寒湖を後に
・川湯温泉
程近くにある〝硫黄山〟が熱源になり地下水が熱せられて自然排出されているのが川湯温泉のお湯ということだそうです。
泉質が日本で2番目に高い濃度の〝強酸性〟温泉だそうで、4寸釘を源泉につけておくとその酸性の強さで一週間もたずに溶けてしまうんだとか!(゚Д゚;)
それだけに殺菌力が高く皮膚の疾患などによい効能があるとのことです。
・きたふくろう到着
そしてこの日に宿泊したのが今回閉館してしまった‥‥
《名湯の森ホテルきたふくろう》でした
ホテルの名前の下に壁の剥がれなのか汚れなのか‥‥
今思えばこれを直していない辺りこの当時から経営状態はあまり良くなかったのかもしれません(;´・ω・)
きたふくろうさんのすぐ向かいにあった宿が営業していたのは覚えていますが、ここに着くまでの間に何件もの廃ホテル・宿を目にしたことからも川湯温泉街全体がさびれてしまっているなーと、この当時既に感じたものです。
3年前でそんな感じだったので今回のコロナで川湯温泉街は大丈夫なのか‥‥
特別な泉質を持つ温泉がある地域だけに何とか踏ん張って欲しいものです。
こちらの宿の顔〝ふくろう〟が入口上部の壁にデザインされていました。
部屋に入ると窓のすぐ外に見えるのは‥‥
原生林!!
この景色は露天風呂からも堪能できました!(゚∀゚)
温泉の温度は結構熱め、泉質は強酸性ということで皮膚にピリピリと刺激がくるなかなか特徴のあるお湯でした。
部屋の中や食事の様子は撮ってなかったんですよね‥‥今思えば残念です。
・7月4日
宿を発つ直前に母親とその友人2人を撮影している叔父さんの更に後ろから撮った(笑)写真です。
3年前の時点でかなりさびれてしまっている印象だった川湯温泉街ですが、それでもそこから今に至るまでの3年間、きたふくろうさんは川湯温泉を代表する宿の一つとして頑張って来たのだと思います。
しかしこの度のコロナのダメージはあまりにも深刻だったようです。
思い出のある場所が無くなったのは寂しいですね‥‥(´;ω;`)
人、場所、モノ、全てに対して悪い影響を及ぼすコロナウイルスの悪質さを改めて思い知ります‥‥
宿を出発、お世話になりました。
・硫黄山
明治時代、マッチや火薬の原料としての硫黄の採掘でこの周辺の地域は栄えていたそうです。
圧倒的な迫力!!大自然の力強さを感じますね(゚∀゚)
かなり近い場所まで行けてしまうのですが‥‥
このようにロープのこちら側にも高温で有毒なガスが噴き出している箇所が存在するのでくれぐれもご注意!(・_・;)
何だか地球以外の違う星に居るようにも‥‥(;・∀・)
同じ温泉地でも登別温泉の地獄谷とはまた雰囲気が全然違いました。
その地域にしかない独自の景色を目にすることが出来るというのはこんな閉塞した状況の現在、なおさらに幸せな事だと思えますよね(^ω^)
ここから摩周湖へ
・摩周湖
〝ましゅう〟と名付けられた語源は定かではないそうですが‥‥アイヌ語では「カムイトー」(神の湖)と呼ばれているそうで、世界でも一級の透明度を誇る神秘の湖です。
周囲を300~400mの絶壁に囲まれているため容易に人が近づくことは出来ず、規制もあって残念ながら湖面に下りることはできません。
遠くからそのお姿を眺めるだけの手の届かない存在なのです。
何といっても神様ですからね(笑)
この日は霧もなく湖をはっきりと見ることが出来ました!(^^)!
カムイヌプリ(摩周岳)
カムイシュ島
売店にて
摩周ブルー&バニラミックスのソフトクリームを買いました。
3年前なのではっきりとは覚えていませんが美味しかったはず‥‥です(笑)
北海道のソフトクリームで外れを引くことはまず無いはずなので!(^^)!
〝映え〟に憧れが感じられる写真ですね(笑)
ここでいつも食べ物を貰っているようでしたね。
この後はずっと南に下って釧路方面へ向かいました。
かなりの距離を走り湿原の中を通る道路を抜けて‥‥
・釧路市湿原展望台
1984年に建てられた展望台で外観は湿原に自生するスゲ科の植物が凍結と雪解けの繰り返しで出来る〝やちぼうず〟をイメージしているとか。
展望台屋上より
展望台内部にも様々な展示があります。
これが〝やちぼうず〟ですが‥‥似てますかね?
釧路が舞台の漫画〝僕等がいた〟の作者、小畑友紀さんが釧路出身なんだとか。
少女漫画ということもあり失礼ながらこの時まで知りませんでした。
アニメ化や映画化もされた程の有名な作品だったんですね。
主要キャラクターの2人が釧路市観光大使になっているようです。
この後、この日の宿泊予定地の十勝川温泉へ
・十勝川温泉
茶色の濃ゆ~い色が特徴のモール温泉で有名な十勝川温泉。
葦などの植物が長い時間をかけて堆積し出来上がった亜炭層を通って湧きだすためにこのような色になるそうです。
〝モール〟とは亜炭などを差すドイツ語に由来しているとか。
ちなみにモール温泉は北海道遺産にも選ばれています。
《笹井ホテル》
この地で開業して90年以上の歴史のあるホテルです。
公式ホームページを確認しましたが、この現状の中でもコロナ対策をして頑張って営業されているようでした。
どこも苦しいと思いますが、何とかこの苦境を耐え抜いて頂きたいです。
温泉はもちろんモール温泉!!
老舗ホテルだけあって食事やサービスも良かったと思います。
ここも写真‥‥ホテル外観しか撮ってませんでしたね‥‥(ーー;)
・7月5日
午前10時頃に出発、お世話になりました。
今の騒ぎが収まったらまたいつかきっと‥‥
そしてこの日に訪れた場所は
・帯広市美術館
母親とその友人たちが絵画教室に通っていて美術館巡りなどが好きだったことから寄ってみました。
この時は〝山下 清〟展が開催中でした。
芦谷雁之助さんが〝裸の大将放浪記〟で演じていた放浪の画家ですね(゚∀゚)
・六花の森
中札内村にある〝マルセイバターサンド〟で有名な㈱六花亭製菓の施設(庭園)です。
森への入り口があり受付になってます。
写真は残念ながらありませんが、敷地内には自然豊かで広大な緑地と製菓工場、美術館、ミュージアムショップ、レストラン等があります。
お土産屋さんでは六花亭のお菓子が選び放題‥‥当たり前ですが(^^;)
見ごたえがありなかなか楽しめますよ(^ω^)
この日が最終日だったのでここからはもう帰るだけ‥‥
道東道をひたすら戻りましたが、道東道はトンネルの数がやたらと多く、運転していてものスゴく疲れた覚えがあります。
また次に休憩できる場所までの距離も長いので、この時はドライバーが2人いたので良かったですが、なかなかにドライバー泣かせの道路だと思いましたね。
それでも何とか無事に帰宅することが出来ました。
もうヘロヘロでしたが‥‥
疲れましたが、みんなで楽しめて本当に良かったと思える旅行でした。
そして‥‥
・初めてのお土産
我が家で待っていてくれていたミクちゃんと雪ちゃんにこの時、初めてのお土産をあげることが出来たのです。
2017年7月当時の2人です。
2人の後ろに本やら何やら積みあがっていた当時の部屋でそのまま写真を撮ったため、恥ずかしいので塗りつぶしてゴマかしました(;´∀`)
ミクちゃんの 髪の毛の隙間から本が見えてますが‥‥(笑)
『若かったのね‥‥(´Д`)』『あの頃はね‥‥(´Д`)』
「オイ!!(^^;)ちょっとキミたち‥」
上が阿寒湖のアイヌコタンのお店で買ったアイヌ工芸品、下にぶら下がっている〝ふくろう〟は〝ホテルきたふくろう〟さんで買ったものです。
ホテルのフロントのすぐ横に木彫りの小物を売っている出店がありました。
ふくろう以外にも色んな動物やコロポックル等もありましたね。
ここは迷わず〝ふくろう〟をチョイスしました。
せっかく〝きたふくろう〟さんに来た記念だったので(・∀・)
ふくろうの裏には‥‥
出店のおばちゃんが「あげたい人の名前彫ってあげるよー」と言ってくれていたのでもちろん2人の名前をお願いしました。
そして2020年4月現在‥‥
ホテルの紙袋も一緒に大事にとってあるのです。
『ミク達の名前も書いてあるし(*^▽^*)💚』『ねー(´▽`*)💙』
『こんな紙も入ってたよ』『やっぱりふくろうさんなのね』
・最後に
きたふくろうさんが閉館してしまったことは本当に残念です(´;ω;`)
今や世界中どこでもこのような事が当たり前のように起きてしまっているのでしょうが、自分にとって思い入れがあった場所が終わりを迎えてしまった事が悲しかったので、3年前の様子ですが今回の記事で紹介させて頂きました。
このコロナウイルスという奴は大事な人だけでは飽き足らず大事な思い出の場所までも奪っていく最悪の〝輩〟です。
〝輩〟を相手に我慢しなければいけないというのは(;´・ω・)正直とても悔しいことなのですが‥‥やっぱり今は我慢(~_~;)
この我慢の先に光が差してくることを信じたいですね(・∀・)
きたふくろうさん、本当にお疲れさまでした。
とてもいい思い出をありがとうございました!(^^)!
今回はこれでおしまいです。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回(^^)/~~~